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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)1230号 判決

原告 唐沢脩 外二名

被告 石川島播磨重工株式会社

主文

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  左記(1)または(2)を選択的に求める。

(1) 原告らが、被告の東京第二工場通用門もしくは東門(その位置は別紙図面記載のとおり、以下同様)を午前八時に入門することをもつて労働時間を起算されるという労働契約上の地位を有することを確認する。

(2) 原告らが被告に対し、被告の東京第二工場通用門もしくは東門を午前八時以前に入門する労働契約上の義務のないことを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(本案前)

原告らの前項1(1)の請求を却下する。

(本案)

主文同旨

第二当事者の主張

一  原告ら

(請求原因)

1 当事者

被告は造船、機械メーカーたる株式会社で、東京都においては五工場を有し、このうち東京第二工場は東京都江東区豊洲二―一―一に所在する。

原告らはいずれも被告の東京第二工場(以下単に東二工場という)に勤務する従業員で、かつ全日本造船機械労働組合石川島分会(以下単に全造船分会という)所属の組合員である。原告らの東二工場における勤務職場は、原告唐沢が艤装工作部船装工場課、同山中が修理部機関工場課、同塩谷が船殻工作部組立工場課である。

2 労働時間の起算点に関する従前の契約内容

(1) 被告就業規則(昭和四六年六月一日改訂施行のもの、以下、単に就業規則というときはこれを指す)一三条によれば、「所定就業時間は休憩時間を含み一日八時間三〇分とし、始業時刻八時、終業時刻一六時三〇分、休憩時間一二時から一三時までとする」旨定められているが、労働者が提供すべき労働を確定するためには、労働時間の起算点についてみれば、始業時刻が確定しているだけではなく、その時刻に労働者が「どこで」「どうすれば」労働契約上の義務を尽くしたことになるのかが確定される必要がある。即ち、かかる意味を含んでの労働時間の起算点は、労働契約における一つの要素をなすものである。

(2) しかるところ、この点に関係して、被告の就業規則等に次のような諸規定が存する。

就業規則二六条(出勤および退社時間)「出勤および退社時間は次のとおりとする。出勤は始業時刻まで五〇分間、退社は終業時刻後五〇分間 2 前項の時刻より早く入場しまたは遅れて退社するときは、あらかじめ会社の許可を受けなければならない。」

同二七条(遅刻扱)「始業時刻後三〇分以内に限つて入場を認め遅刻扱いとする。(但書略)」

同三一条(入退場に関する遵守事項)「従業員は入退場にあたり次の各号を遵守しなければならない。(1)入退場は必ず所定の門から行うこと((2)以下略)」

同二八条(出勤、退社、出張、外出、遅刻および早退のための入退場手続)「出勤、退社、出張、外出、遅刻および早退のための入退場手続については別に定める。」

右就業規則二八条を受けて定められた「従業員入退場手続」二条(帳票および門鑑)「入退場するときは次の帳票または門鑑を用い以下各条に定める手続を経るものとする。(1)タイムカード((2)以下略)」

同三条(タイムカード)「次の各号の一に該当するときは「タイムカード」を用い所定のカード場において刻時する。(1)就業日に始業時刻後三〇分以内に出勤するとき。(2)就業日に終業時刻後に退社するとき。((3)略)」

なお、右就業規則三一条に定める「所定の門」は、東二工場においては別紙図面記載の「通用門」及び「東門」である。

(3) 右就業規則等に基づき、昭和四七年八月一七日以前は、原告らを含む従業員の労働時間の起算点及び終点の取扱いは次のとおりであつた。

(イ) 八時に所定の場所でタイムカードに打刻すれば遅刻扱いは受けなかつた。

(ロ) 所定の作業終了後一六時三〇分にタイムカードに打刻すれば、早退扱いは受けなかつた。

(ハ) タイムカード場(タイムレコーダー設置場所)は、昭和三六年以後は東二工場と公道を隔てた反対側の被告豊洲総合事務所ビル(江東区豊洲三―二―一六所在)地下ロッカールームに設置され、同地下ロッカールームは地下道で東二工場通用門付近に連絡していた。右以前は、ロッカールームが東二工場内に設置され、タイムカード場は同工場内に通用門に隣接して設置されていたが、右地下ロッカールームへの移転に伴い、タイムカード場も同所に移転されたものであり、右移転後も地下ロッカールームを使用しない一部従業員用のタイムカード場はいぜんとして通用門に隣接して設置されていた。即ち、右豊洲総合事務所ビル地下は東二工場の構内とみなされ、同地下の入退場が東二工場の入退場とみなされて、これをタイムカード打刻により確認していたのである。

(ニ) 出勤に当つては、従業員はタイムカード打刻後右地下ロッカールームにおいて更衣、安全保護具等の着用をし、しかる後歩行して各作業場に赴けばよかつた。

(ホ) 退社に当つては、従業員は作業終了後同所において入浴、更衣等の後タイムカードに打刻すればよかつた。

(4) 以上の就義規則等の定め及び慣行によつて、被告と原告らを含む従業員との労働契約における労働時間の起算点は、八時までに所定の門(即ち通用門又は東門)を入門することであり、具体的には入門直後その直近にあるタイムカード場でタイムカードに打刻することによりその確認がなされ、その終点は、一六時三〇分以後に右門を退門することであり、具体的には退門直前に右同様タイムカードに打刻することにより確認がなされていたのである。即ち、原告らは被告に対する労働契約上の義務として、始業時刻に関し、八時までに入門すること以上の義務を負わなかつたのである。

(5) 原告らの行なう労働は危険、有害汚染作業であり、被告は造船安全必携、安全ハンドブック、安全靴規程等をもつて従業員に対し、安全帽、安全靴、命綱、保護眼鏡、保護手袋、被告指定の作業服の着用を指示し、義務づけているのであるから、原告らがロッカールームで行なうこれらの着用行為は実作業にとつては必要不可欠な実作業開始準備行為であり、かかる行為に要する時間は当然労働時間に含まれなければならない。この意味から、原告らは八時までに更衣場所たるロッカールームに入ること以上の労働契約上の義務を負わない筋合いであり、この点からも、原告らが右(4)項指摘以上の義務を負わないことが裏付けられる。

3 労働時間起算点の一方的変更

(1) しかるに被告は、昭和四七年八月一七日を期して、ロッカールームを前記地下ロッカールームから東二工場内の新ロツカーハウスに移動するとともに、「新勤務制度」と称し、前記タイムカード制を廃止し、各職場毎に八時に一斉に開始する体操に参加することをもつて労働時間の起算点とし、これに遅れた場合は遅刻扱いとする制度に変更した。なお退社に関しては一六時三〇分以前にロッカールームに入室することを禁じた。

(2) これによれば原告らは、従前のように八時までにタイムカードに打刻するのに比べ、ロッカールームにおける更衣、安全保護具等着用及び同所から各職場毎の所定体操場所までの歩行に要する時間だけ早く入門しなければならなくなり、それだけ労働時間の起算点が早められることになる。即ち原告唐沢の場合は、入門してから、ロッカールーム(新ロッカーハウス二階)に入場し、脱衣し眼鏡を交換し、作業衣を着衣し、安全帽を着用し、あごひもを締め、安全長靴(又は短靴及び足カバー)を着用し、命綱をつけ、作業用手袋を着用し、耳栓携帯を点検し、懐中電灯、ガス切断用保護眼鏡、ガスライターを携帯し、食券申込をし、しかる後ロッカールームを出て体操場所に到着するまで、少なくとも一五分を要し、同山中の場合は、入門してから、ロッカールーム(同一階)に入場し、脱衣し作業衣を着衣し、眼鏡を現場用に交換し、腕時計を外し、安全靴(短靴)をはき、安全帽をつけ、あごひもを締め、食券を出し、しかる後ロッカールームを出て体操場に到着するまで、一〇分を要し、同塩谷の場合は、入門してから、ロッカールーム(同三階)に入場し、食券を出し、脱衣し作業服を着衣し、安全靴(短靴)をはき、足カバーをつけ、懐中電灯を持ち、溶接体リモコンを持ち、安全帽をつけてあごひもを締め、しかる後ロッカールームを出て体操場に到達するまで、一五分を要するのであり、これだけの時間が労働時間の外に追いやられ、それだけ労働時間の起算点を早めることになるのである。

(3) 右新勤務制度実施に当り被告は、原告らの所属しない石川島播磨重工労働組合東京支部(以下同労組を石播労組と、同支部を石播労組支部という)とは協議合意したが、原告ら及びその所属する全造船分会の同意を得ることなく、これを実施に移した。

4 不利益変更の無効

以上のとおり新勤務制度は、原告らと被告とのそれまでの労働契約の内容に比べ原告らにとつて不利益にこれを変更するものであるから、原告ら及びその所属する全造船分会の同意がない以上、原告らを拘束するに由ない。

5 結論

よつて原告らはいぜんとして被告に対する労働契約上の義務として、労働時間の起算点に関し、八時までに入門するとの義務を負うのにすぎず、それ以上の義務を負わないものであるところ、被告は新勤務制度を原告らに対しても実施し、このため原告らは義務なくしてこれに従わない限り賃金取扱い上その他の不利益を受けるから、右のとおり原告らの労働契約上の義務の内容を確定することにより、それ以上の義務のないことの確認を求めるべく、請求の趣旨記載のとおりの判決を求めるものである。なお本件において原告らの求める趣旨は右のとおりであつて、請求の趣旨1項の(1)と(2)は単に表現技術上の違いにすぎないもので、右の趣旨により適合した内容の宣言を選択的に求める意味である。

(被告の主張に対する答弁及び反論)

1 被告の主張1について

(1) 同(1)項中被告の就業規則三二条一項一号に被告主張の規定が存し、これが新勤務制度の前後を通じ一貫して変わらないことは認めるが、その余は全て争う。労働時間の起算点については請求原因として主張のとおり取り扱われてきたのであつて、右の規定は東二工場において規範として作用していなかつたのである。

(2) 同(2)項中、昭和三六年八月、それまで各職場にあつたロッカールームを豊洲総合事務所ビル地下ロッカールームに移したこと、被告が「従業員入退場手続」に基づきタイムカード制を実施していたこと、右地下ロッカールーム移動前は通用門脇にタイムカード場があつて打刻後ロッカールームに赴き更衣等をしていたこと、右移転前及び地下ロッカールーム時代とも八時までに打刻すれば遅刻扱いとされなかつたことは認めるが、その余は争う。

地下ロッカールーム移転前五分前遅刻制があるとは言われていたが、七時五五分に遅れて打刻しても不利益もなく上長の注意もなく、現実の規範としては作用していなかつた。そして地下ロッカールーム移転に伴い、被告はタイムカード場を、まず工場内の四ケ所に設置することを、次いで地下道に設置することを組合に提案し、もつて更衣後打刻を実現しようと企てたが、組合ないし組合員の抵抗によつて断念することをやむなくされ、タイムカード場をロッカールーム入口に設けることによつて、打刻後更衣という従前の慣行が維持されたのである。会社は更衣後打刻を実現できなかつた代償として前記五分前遅刻制を生き返らせようとしたが、これも組合員の抵抗によつて諦め、右制度はここにその痕跡さえなくなつた。かくして、八時打刻をもつて労働時間の起算点とすることは労使の合意となつたのであり、器材受渡場所において作業指示を受け若しくは治工具を受け取ることが右起算点であるというような規範意識は労使ともになかつたのである。それ故にこそ被告主張のように職場の中で体操をすることが行なわれえたのであり、そうでなければ八時から体操をすることは、被告の主張する始業の規範に違反することになるはずである。また右体操は、昭和四六年四月一六日の前後を問わず、石播労連の自主的な運動により任意的なものとして行なわれていたのにすぎず、その前後を通じ従業員中にはこれに参加する者も、参加しない者も、また途中から参加する者もいたが、いずれにせよその不参加や遅参が特段の不利益に結びつくような話は一切なかつたのであり、八時体操をもつて労働時間の起算点とするという規範は存しなかつたし、そのような被告と石播労連との合意も存しなかつた。

(3) 同(3)項中、昭和四七年八月一七日から東二工場内に東二総合事務所を新築し、その一、二、三階を新ロッカーハウスとして使用することとしロッカールームを同所に移転したこと、右同日から被告主張のような新勤務制度を強行したこと、右実施に先立ち被告が全造船分会と団体交渉し、結局合意に至らなかつたことは認めるが、その余は不知ないし争う。同分会は被告の申入れに対し、対案を提示し、継続討議を提案するなど柔軟な態度で臨んだのであるが、被告はその提案をことごとく拒否し、会社の権限でやるとして一方的に強行実施に移したのである。

(4) 同(4)項は全部争う。

(5) 同(5)項は争う。被告は猶予措置により実質上原告らの不利益はカバーされるというが、その前提とする事実に誤りがあるほか、それは単なる恩恵的措置にすぎず従つて被告はいつでもその恩恵を剥奪しうる性質のものであるし、またそこにいう「作業指示に間に合う」ことの意味があいまいであり、また作業指示の所要時間も一定しないため、どの程度の時間が猶予されるのかは、上長の判断及び行動に左右され、一定しないのであり、右猶予措置は新勤務制度による不利益をカバーするにまことに不十分なものなのである。また新勤務制度により原告らの蒙る不利益は、単に従来遅刻とされなかつたものが遅刻とされるというだけではなく、遅刻時間の拡大とこれに伴う賃金カットの増大ともなつて現われる。例えば八時五分に入門した者は、従来五分間の遅刻にすぎなかつたのに、新勤務制度では入門後更衣、歩行等に一〇分ないし一五分かかる結果、結局二〇分の遅刻とされるのであり、この不利益は、遅刻の認定を一〇分刻みとしたことにより、また直属上長による面着という制度をとつたことにより(到着時に上長が不在の場合)更に拡大されているである。

(6) 同(6)項は争う。

2 被告の主張2について

(1) 同(1)の主張は争う。使用者が就業規則を一方的に変更することによつて従業員に対して従前より不利益な労働条件を課すことは、従業員の同意なくしてはなしえないものと解すべく、「合理性」といつたあいまいな基準によつて、自由な合意により成立した労働条件が一方的に変更されうるということは、契約法理に反するものである。

(2) 同(2)は争う。

(3) 同(3)は争う。被告は新勤務制度を就業規則の変更なくしてなしうるとしてこれを強行したのであり、同(2)の主張はそれと矛盾する。

(4) 同(4)の事実は認める。但しその経緯は次のとおりである。新勤務制度の実施は就業規則の変更なくしてなしうるとの被告の態度に対し、全造船分会はこれを昭和四八年一月一〇日労基法九三条違反として亀戸労働基準監督署に申告した。これに対し同署は同年九月二二日被告に対し、「新勤務制度による労働時間起算点の変更は就業規則変更手続をとり、同署に届出なければならない」との通告をした。かくしてようやく被告はその主張のような手続をとるに至つたのである。

(5) 同(5)は争う。仮りに合理的理由があるときには就業規則の一方的変更により労働条件を労働者に不利益に変更しうることを肯定しても、その合理性は、使用者にとつて合理性があるだけでは足りず、労働者の立場からみても合理性があることを要するものと解さなければならないところ、本件新勤務制度は次のとおり合理性を欠くものである。

(イ) 内容の不合理性

被告は合理性の根拠として、週休二日制の導入により労働時間を短縮するに伴い、就業時間を充実させることは合理的であり、しかも極端に労働時間を延長するものではないという。しかし東二工場の所定労働時間は昭和四六年四月一五日までは七時間であつたところ、同月一六日隔週週休二日制の導入によりこれが七時間三〇分に、昭和四八年四月一六日完全週休二日制になつてからは八時間に延長されたのである。この結果、労働基準法三二条一項にいう労働時間には作業開始準備行為及び作業終了随伴行為に要する時間を含まなければならないところ、新勤務制度はこの所要時間を所定労働時間の外に追い出したのであるから、結局一日について八時間を超えて労働させることに帰し、同法同条及び九三条違反の結果をもたらしているのである。また、新勤務制度前の所定労働時間は作業開始準備行為及び作業終了随伴行為の所要時間を含めて週平均四一時間一五分(一日の労働時間七・五時間で隔週週休二日制のため週平均の勤務日数は五・五日)であつたところ、現行の所定労働時間は週四〇時間(八時間×五日)であるが、作業開始準備及び作業終了随伴行為の所要時間が平均各一〇分ないし一五分としても一週間には一時間四〇分ないし二時間三〇分となり、週間労働時間は新勤務制度の労働時間を超える結果となる。しかも従前ならば割増賃金を支払うべき時間帯の労働に対して割増賃金を支払わないで済んでいるのである。かくして就業時間充実は被告にとつてのみ合理的で、労働者の側からいえば労働強化に他ならないのである。

(ロ) 変更経緯の不合理性

被告が労働基準監督署に対し就業規則変更手続をとつたのは右(4)項主張のとおりの経緯によるものである。即ち右手続は、違法、不当な労働条件の不利益変更に形式的合理性を付与するためにのみなされたものである。

(ハ) 規定変更形態の不合理性

被告は新勤務制度に伴う労働時間起算点変更を就業規則二七条(遅刻扱い)の変更とすることなく、同二八条(入退場手続)及びこれを受けた従業員入退場手続の変更としてなした。即ち、右手続三条の本文の後に「但し、タイムカードを使用しない事務所については適用しない。」なる文言を挿入し、別紙で「東二工場における新勤務制度の取扱い要領」なるものを添付し、「東二工場においては従業員入退場手続規程の細部について次のとおり定める。」として、「〈1〉始終業取扱要領 1始業 八時所定体操場所で体操を開始することをもつて始業とする。この時点で班長が出勤の確認を行う。これ以降は遅刻とする。ただし当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻扱いにはしないこととする。」なる規定を新設し、「〈2〉入退場取扱要領 1 遅刻 遅刻者は就業可能時刻を一〇分刻みで自己申告し作業場所で班長の確認を受ける。2 遅参 入門時刻を超えて遅参入門する者は現行の遅参票を使用し勤労課から就業許可を得て就業する。その就業可能時刻を一〇分刻みで遅参時刻とする。」と定めたのである。

しかしながら右〈1〉1は始業の内容及び遅刻扱いの定めであつて、被告の主張を前提にすれば就業規則三二条一項一号及び同二七条の変更ないし追加としなければ変更しえないものであり、〈2〉1及び2は不就業時間及び賃金の不就業控除に関するものであるから、就業規則二七条及び同四七条(給与)ないしそれを受けた賃金規程の変更、追加として規定すべきものであり、いずれも入退場手続の変更あるいは追加として定めうる筋合いのものではない。

(ニ) 被告は、労働時間の起算点が集団的画一的に処理されなければならず、東二工場の大多数の従業員が新勤務制度に従つていることを、合理性の一根拠とするが、新勤務制度下の猶予措置は、日々の作用指示の時間が異り、また職制が遅刻を認定するという方法のために、日々、職場により労働時間の起算点が異るという不統一性、不画一性を招来し、ひいて労働条件を不定安な状況におく結果を招来しているのである。

二  被告

(本案前の申立て)

原告らの請求の趣旨1項の(1)は、結局は、労働契約上原告らが負担している始業に関する義務の確認ないし義務の範囲の確認を求めるものであり、かかる訴は権利保護要件を欠き不適法というべきである。

(請求原因に対する答弁)

1 請求原因1項の事実は認める。

2 同2項(1)主張の事実は認め、法律的主張は争わない。

同(2)主張のとおりの就業規則等の定めがあることは認めるが、これらはいずれも始業、終業に関する規定ではない。就業規則三一条に定める「所定の門」が、原告ら主張の通用門及び東門であることは認める。

同(3)のうち、昭和四七年八月一七日以前タイムカード制をとつていた当時、(イ)(ロ)主張のとおり八時に打刻し、一六時三〇分に打刻すれば賃金取扱い上遅刻ないし早退の取扱いにしなかつたことは認めるが、労働時間の起算点、終点としてそのような取扱いをしたものではない。同(ハ)のうちタイムカード場が原告ら主張の場所に設置され、移動されたことは認めるが、その余は争う。同(ニ)(ホ)は否認する。タイムカード制当時、出勤に当つては地下ロッカールームで更衣、安全保護具等の着用をすませた後タイムカードに打刻すること(更衣後打刻)、退社に当つてはタイムカード打刻後入浴、更衣等をすること(打刻後更衣)とされていた。

同(4)(5)は争う。

3 同3項(1)は、「労働時間の起算点を変更した」との趣旨を除き、認める。なお新勤務制度において猶予措置をとつていることは後述のとおりである。

同(2)は争う。なお原告らの入門から各体操場所到着までに要する時間は、原告ら主張の所為の中には作業と直接の関係のないもの、不必要なもの等を含むことを度外視しても、原告唐沢の場合は約九分、同山中の場合は約七・五分、同塩谷の場合は九・五分にすぎない。

同(3)は認める。

4 同4項は争う。

(被告の主張)

1 新勤務制度は労働時間の起算点を変更したものではない。

(1) 原告ら主張のとおり被告の始業時刻は八時と定められているところ、この始業時刻にいかなる意味をもたせるか、即ち始業時刻に実作業を開始すべき時刻の意味をもたせるか、あるいはこれに付随する準備活動を開始すべき時刻という意味をもたせるかといつたことは、法的自由の領域に属するところである。

しかるところ、被告の就業規則三二条一項一号は、執務にあたり従業員が遵守すべき事項の一として「始業時刻と同時に業務を開始し、終業時刻まで業務に従事すること」と定めており、この定めは新勤務制度実施の前後を通じ一貫して変つていない。これによれば、従業員が始業時刻になすべきことは、「業務の開始」であり、単なる「入門」や「更衣、安全保護具着用等の開始」がこれに当らないことは文理上明らかであつて、その意義は、「実作業の開始」、又は少くとも「治工具の受渡し等実作業に直接必要な行為に着手すること」を指すというべきである。

(2) 右規定による始業の管理については、多数の従業員に対し統一的にこれを運用する必要上、各事業場の時々の事情に応じて、規定の趣旨に反しない限度での運用の幅が被告に許されるべきところ、東二工場においては、新勤務制度実施までの間、被告は次のように運用してきた。

東二工場では、昭和三六年八月、それまで各職場に近接して設置されていたロッカールームを、豊洲総合事務所ビル地下ロッカールームに集約した。被告ではその以前から「従業員入退場手続」に基づきタイムカード制を実施してきたところ、右移転以前は通用門脇にタイムカード場が設置されていて、打刻後ロッカールームに赴き更衣等をして職場につくという経路であつたため、七時五五分までに打刻しない者は始業に遅れたものとみなす(但し賃金カットはしない)取扱いをしていたが、右移転に伴い、タイムカード場は右ビル地下に移し、八時までに打刻すべきものと変更した。地下ロッカールーム時代、従業員(但し地下ロッカールームを使用しない一部従業員を除く)は、公道側地下ロッカールーム入口より入り、更衣等を済ませた後タイムカードに打刻する、八時までに打刻していれば賃金上遅刻扱いとしない、との取扱いをした。ロッカー及びタイムカード場と通行経路との位置関係から、更衣後打刻という右指示が必ずしも守られず、現実には打刻後更衣する者が相当数いたが、更衣等と打刻の先後如何が問題になるのは八時ぎりぎりの打刻の場合であり、そのような者は極めて例外的にしかいなかつたし、被告はこれに対し適宜あるべき方法に改めるように指導してきたのである。

タイムカード打刻の関係は右のとおりであつたが、始業、即ち就業規則上の「業務の開始」とは、「器材受渡場所において作業指示を受け若しくは治工具を受け取ること」とされてきた。即ち従業員は八時までに所定の器材受渡場所に到達しているべきものであつたが、地下ロッカールーム移転に際しての労働組合(全日本造船労働組合石川島分会)との話し合いにより、ロッカールーム移転に伴う猶予措置として、遅くとも八時までに構内側地下道入口を通過していることとされた(このことは当然に八時までに更衣等を済ませていることを意味する)。これは始業の意味を変更したものではなく、単に時間的猶予を認めたものにすぎない。

その後昭和四二年ころから職場の中で始業前に体操を行なう動きが出て次第に職場に拡がつた。そして昭和四六年四月一六日より隔週週休二日制を採用するに際し、被告は石川島播磨重工労働組合連合会(以下石播労連という)との話し合いをもとにして、始業時刻である八時に所定の場所で一斉に体操を実施し、従業員はこれに参加すべきものとの取扱いを定め、全従業員に周知徹底させた。かくして「業務の開始」の運用として、従来の「器材受渡場所において作業指示をうけ、若しくは治工具を受け取ること」を、「体操への参加」に変え、これを実施してきたのである。

(3) 東二工場では、各製造部事務部門の集約化とロッカールームの環境改善等のため、工場構内に東二総合事務所を新築し、その一、二、三階を新ロッカーハウスとして使用することとして、昭和四七年八月一七日ロッカールームを同所に移転したが、これに伴い右同日から、「(イ)出勤管理として従来のタイムカード制を廃止して自己申告に基づく所属上長の確認による(ロ)八時に所定場所において体操を開始することをもつて始業とし、これ以降を遅刻とする。但し当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻取扱いにはしない(ハ)遅刻者は就業可能時刻を一〇分刻みで自己申告し所属上長の確認を得る」とする新勤務制度を実施することとし、これを従業員全員に周知させた。

右制度は、東二工場の圧倒的多数の従業員で組織する石播労組支部からの、タイムカード制廃止の申入れに基づき検討した結果、同組合との合意をみて実施したものであり、一方原告ら所属の全造船分会とは、数次の団体交渉により制度の趣旨説明を行なつたが、同分会は納得せず、最後には、分会組合員に対してだけ新ロッカーハウスにタイムカード場を設置すべしと申し出るに及び、圧倒的多数の従業員についてタイムカード制を廃止しながら少数の右分会組合員(当時一〇名)についてのみタイムカード制をとることは実際上不可能であるので、やむなく同分会との合意に至らないままその実施に移したのである。

(4) 以上のとおり、従業員が就業規則上始業時刻においてなすべき業務の開始の意義は終始一貫して変更はないのであり、ただその運用が、「器材受渡場所において作業指示をうけ、若しくは治工具を受け取ること」から「体操への参加」に変つたのみで、しかもこの変更は昭和四六年四月一六日になされ、その後新勤務制度実施に至るまで原告らを含め全従業員がこれに従つていたのであつて、新勤務制度によりもたらされた変更ではない。運用の面においても、入門をもつて始業とするというような取扱いが行なわれたことはないのである。

右制度により、遅刻認定の方法がタイムカード打刻から自己申告による所属上長の確認という方法に変つたが、タイムカード制は「従業員入退場手続」により定められていた手続で、施設管理権に基づく入退場管理の手続たる性質を有し、これを便宜上賃金取扱いにおける遅刻認定の資料として用いていたのにすぎず、タイムカード制自体が労働契約の内容となつたり労働条件となつたりする性質のものではない。就業規則ないし労働契約に反しない範囲で、どのような方法で遅刻を認定するかは、出勤管理方法という技術的制約のもとにする被告の管理、運用の権限内の問題であるから、タイムカード制を自己申告による所属上長の確認という方法に変えたことは、労働条件の変更に当らない。

たしかに、従前八時までにタイムカードを打刻していれば賃金計算上遅刻扱いを受けなかつたところ、右制度により取扱い上の変更が生じたことは否めない。しかしながら、まず原告ら主張のようにタイムカード打刻後更衣等をすればよかつたのではなくて、更衣後打刻すべきことは被告が一貫して指示してきたところであり、ただこれに反して打刻しても遅刻扱いにされなかつたことは事実であるが、それは事実を正確に確認することができないため大数的処理上やむをえないものとしていわばルーズな取扱いがなされていたというにすぎないし、八時に打刻すれば遅刻扱いとしないとの取扱いは単に賃金取扱い上の処理にすぎず、就業規則上の始業即ち業務の開始の意味は一貫して前記のとおり取扱い、指示してきたのである。即ち被告は、労働者が本来労務を提供すべき始業の起算点と賃金取扱い上の遅刻の起算点とを別異に取扱つてきたのである。本来の始業に遅れた場合は全て遅刻であるが、出勤管理方法という技術的制約のもとに、始業に遅れた場合の全てを賃金取扱い上賃金減額の対象とするか、それとも一定の範囲で許容時間を設けるかは、管理、運営の問題として被告の権限に委ねられることがらであるところ、タイムカード制当時はタイムカード制の技術的制約上あるいは恩恵的猶予措置として、八時に打刻すれば遅刻による賃金減額をしないという措置をとつていたのにすぎず、これにより従業員が本来なすべき始業をタイムカード打刻としたものでもなく、八時にタイムカードを打刻すれば賃金を減額されないということが労働条件になつていたものでもないのであり、右恩恵的猶予措置を縮減ないし廃止することもまた、被告の権限に属することである。

(5) タイムカード制における右猶予措置は、新勤務制度においては「当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻扱いにはしない」との猶予措置に代置された。従つて実際上八時八分ないし一〇分ころまでに体操場に到着すれば作業指示に間に合い、賃金の減額をされることはない。

原告らは、所定の門を入門することが始業であると主張するが、かかる根拠はどこにもなく、従来の取扱いから意味を持ちうる可能性があるのはせいぜいタイムカード打刻である。原告らは、タイムカード場が従来通用門に近接していたことから、タイムカード廃止後は入門がこれに代るものと勝手に解釈しているのにすぎない。しかるところ、従来から打刻は更衣後になされるべきものとされていたから、タイムカード制廃止後は、「八時打刻」は「八時に新ロッカーハウスを出ること」に置きかえられるべきところ、同ハウスから原告らの各体操場までの走行時間は長い者でも三分にすぎないから、新勤務制度によつて原告らは何ら不利益を受けるものではないのである。また百歩譲つて八時に右ハウスに入場することが八時打刻に相当すると仮定しても、同入場から所要の作業衣の更衣、安全保護具の着用を経て体操場に到着するまでの所要時間は、原告ら主張の所作のうち不要なものを省略し、急いですれば、原告らの場合六・五分ないし八分程度と考えられるから、原告らが八時に右ハウスに入場すれば結果的に右作業指示に間に合い、遅刻扱いを受けないで済むのである。

このように実質的にみても、新勤務制度によつて始業の起算点について原告らに不利益に変更された点はないのである。

(6) 以上のとおり、新勤務制度は、いかなる意味においても、就業規則の運用としてあるいは出勤管理の運用として、被告の権限に属する事項を定めたものであつて、理論上原告らと被告との労働契約の内容に反し、あるいは労働条件に変更を及ぼすものではないし、また実質的にも労働条件を原告らに不利益に変更するものではないから、原告らの同意がなくとも有効に原告らを拘束し、原告らはこれに従う労働契約上の義務を負うのである。

2 就業規則変更による労働条件の変更(予備的主張)

仮りに右新勤務制度が従来の労働条件を変更する内容を含むとしても、右は就業規則の変更として有効に原告らを拘束するに至つた。

(1) 就業規則に定められ労働契約の内容となつた労働条件を就業規則の改訂により変更しようとするとき、仮りにそれが従業員にとつて不利益な変更であつても、その変更が合理的な理由に基づき相当な範囲において行なわれる限り、従業員はこれに合意していないことを理由にその適用を拒否することはできないものと解すべきである(最高裁昭和四三年一二月二五日判決等参照)。

(2) 本件新勤務制度は前記のとおり、「(イ)出勤管理としてタイムカード制を廃止し、自己申告に基づく所属上長の確認による (ロ)八時に所定場所で体操を開始することをもつて始業とし、これ以降を遅刻とする。但し当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻扱いにはしない (ハ)遅刻者は就業可能時刻を一〇分刻みで自己申告し所属上長の確認を得る」というものであるが、このうち(イ)が出退勤管理方法の変更であつて労働条件に関わらないものであることは先に述べたとおりであるし、(ロ)のうち体操参加を始業とする点が昭和四六年四月一六日から実施してきたもので新たな取扱いでないことも先に述べたとおりである。これに対し(ロ)のうち体操参加に遅れたものを遅刻とすること(但書の猶予措置を一応度外視して)及び(ニ)により従来一分刻みでなされていた遅刻の認定を一〇分刻みとすることは、労働条件の変更とみられる可能性がないではない。

(3) しかし被告はその実施に先立つて、東二工場の過半数の従業員を代表する石播労組支部と交渉しその合意を得た後、昭和四七年八月一一日付東二勤長通知をもつて東二工場全従業員にその内容を周知させたうえ、同月一七日から実施したものであり、前記(ロ)(ハ)の部分については就業規則付属規程「従業員入退場手続」の一部をなすものと位置づけられ、その一部が実質上この時点で変更されたものとみることができる。この時点で労働基準監督署への変更届出はなされていないが、この届出は就業規則制定、変更の効力要件ではない。

(4) また昭和四八年一二月一二日付をもつて亀戸労働基準監督署長に対し有効に「就業規則付属規程の一部変更届」を提出し、「始終業取扱要領」「入退場取扱要領」「勤務票記入要領」を定めた旨届出たから、遅くともこの時点において就業規則の右変更の手続が完了した。

(5) 右就業規則の変更は次のとおり合理的な理由にもとずき相当な範囲においてなされたものである。

右のとおり八時の体操開始に遅れた場合を遅刻とし、従来の一分刻みの遅刻認定を一〇分刻みとすることの合理性は、当時被告が進めてきた労働時間短縮=週休二日制の導入と一体的に理解されなければならない。即ち被告は石播労連と昭和四六年四月一五日付協定を締結し、その翌日から隔週週休二日制(毎月第一、第三、第五土曜日を休日とする)を実施し、更に昭和四八年四月一六日から石播労組と協定締結のうえ完全週休二日制に踏切つて今日に至つている。労働時間を単に一日毎にみるのではなく週間あるいは月間を通じて把握し、他方従業員にまとめて休息をとらせることは極めて合理的なことであり、休日をふやして労働時間を短縮する一方一日の労働時間の充実をはかろうとすることは、それが一日の労働時間を極端に延長するなど従業員の健康、生活面に重大な影響をもたらすものでない限り、合理的な措置というべきであり、本件新勤務制度は前述のとおり相当性の範囲をいささかも逸脱するものではない。

のみならず、前述のとおり東二工場の圧倒的多数の従業員を代表する石播労組支部との合意のもとに実施され、圧倒的多数の従業員がこれを受け入れているのであり、その実情下においてことの性質上事業場単位に一律的処理を必要とする事項につき、原告ら三名のみがこれに合意していないことを理由にその適用を拒否することは許されないものというべきである。

第三証拠関係〈省略〉

理由

(本案前の判断)

被告は、請求の趣旨1項の(1)が権利保護要件を欠き不適法であると主張してこの部分につき訴の却下を求める。しかしながら、労働契約上の労働時間の起算点につき使用者と従業員との間に争いがある場合に、この点につき従業員がその主張するところによる義務以上の労働契約上の義務を負わないことの確認を求める訴は、確認の利益を有し適法なものと解すべきところ、原告らが請求の趣旨1項として(1)と(2)とを選択的に訴求する趣旨は、そのいずれも右義務不存在確認を求めるところにあつて、単に主文表現技術上の観点からこれらを選択的に列挙したのにすぎないのであるから、これを不適法ということはできない。

(本案の判断)

一  当事者

請求原因1項の事実は全て当事者間に争いがない。

二  労働時間の起算点の意義と被告の就業規則の定め

1  被告就業規則一三条によれば「所定就業時間は休憩時間を含み一日八時間三〇分とし、始業時刻八時、終業時刻一六時三〇分、休憩時間一二時から一三時までとする」旨定められていることは当事者間に争いがない。

右により始業時刻は八時と定められているのであるが、その定められた時刻に従業員がどこでいかなる行為をすれば足りるのかは、これにより一義的には定まらない。かかる意味での労働(就業)時間の起算点は、それをどこに定めるかによつて、従業員が使用者の事業所構内に入つてから後の更衣や歩行等に要する時間が所定の就業時間の内に取込まれるか否かが左右されるわけであり、労働条件の内容の一部をなすものであるが、この点は、強行法規に反しない限り法的自由の領域に属することがらであつて、就業規則や明示又は黙示の労働契約等ないしその解釈(これらの定めが存在せずあるいは解釈に疑義があるときは慣行や社会通念等により判定することになる)により定められるべきものである。

2  しかるところ被告の就業規則等に次のような諸規定の存することは当事者間に争いない。

就業規則二六条(出勤および退社時間)「出勤および退社時間は次のとおりとする。出勤は始業時刻まで五〇分間、退社は終業時刻後五〇分間 2 前項の時刻より早く入場しまたは遅れて退社するときは、あらかじめ会社の許可を受けなければならない。」

同二七条(遅刻扱)「始業時刻後三〇分以内に限つて入場を認め遅刻扱いとする。(但書略)」

同三一条(入退場に関する遵守事項)「従業員は入退場にあたり次の各号を遵守しなければならない。(一) 入退場は必ず所定の門から行なうこと((2)以下略)」

同二八条(出勤、退社、出張、外出、遅刻および早退のための入退場手続)「出勤、退社、出張、外出、遅刻および早退のための入退場手続については別に定める。」

右就業規則二八条を受けて定められた「従業員入退場手続」(以下単に入退場手続という)二条(帳票および門鑑)「入退場するときは次の帳票または門鑑を用い以下各条に定める手続を経るものとする。(1)タイムカード((2)以下略)」

同三条(タイムカード)「次の各号の一に該当するときは「タイムカード」を用い所定のカード場において刻時する。(1) 就業日に終業時刻後に退社するとき。(2) 就業日に終業時刻後に退社するとき。((3)略)」

なお、右就業規則三一条に定める「所定の門」が東二工場において別紙図面記載の「通用門」及び「東門」であることも当事者間に争いがない。

他方、就業規則三二条一項一号が、執務にあたり従業員の遵守すべき事項の一として「始業時刻と同時に業務を開始し、終業時刻まで業務に従事すること」と定め、この定めが新勤務制度実施の前後を通じ一貫して変つていないこともまた当事者間に争いがない。

3  原告らは、右就業規則二六条、二七条、二八条、三一条、入退場手続二条、三条の諸規定をもつて、原告ら従業員の労働時間の起算点は八時までに所定の門(即ち通用門又は東門)を入門することであり、具体的には入門直後その直近にあるタイムカード場でタイムカードに打刻することによりその確認がなさるべく、原告らは被告に対する労働契約上の義務として右以上の義務を負わないことの一理由であると主張する。しかしながら、右各規定の文章、体裁に照らすと、いずれも直接的には被告の経営管理の一部としての従業員の出退勤に際しての入退場管理方法を定めたものであつて、労働条件を定めたものではないと解するのが相当である。即ち、就業規則二七条も、直接には入場を認める時間を限定し、その場合には遅刻扱いをする旨を定めたものにすぎないのであつて、これにより「遅刻」を定義してその外延を画したものとは解し難く、また入退場をタイムカード制という方法で管理するかどうかはこれまた経営管理権に属することであつて、就業規則付属規程でタイムカード制を定めたからといつて、タイムカード制により管理されるということが労働条件になるという性質のものではないというべきである(その制度の改廃により反射的に労働条件が悪化するような場合にはまた別個の問題である。)。

他方、右就業規則三二条一項は、従業員は「始業時刻と同時に業務は開始」すべき旨定めているところ、ここにいう「業務」の意義は必ずしも一義的ではないが、社会通念上の文言そのものの意味としては、従業員に本来予定された実作業ないし作業指示は受けること、器材器具の受取り、機械設備の点検など実作業に直結する準備行為を意味し、単なる入門ないし入構はもちろん、作業のための更衣や安全保護具の着装等の行為(それが作業の性質上従業員にとつて不可欠であるかどうかにかかわりなく)を含まないものとみるのが常識的であろう(もとよりかかる文言だけから右規定を解釈する趣旨ではない。)。

右のとおりであるから、就業規則等の定めから、原告ら主張のように、従業員の労働時間の起算点を八時までに所定の門を入門することあるいはタイムカードに打刻することとされているものとみることは困難であり、かえつてその文言だけからみると、八時に実作業ないし右に述べたようなそれに直結する準備行為を開始することと解される蓋然性が高いというべきものである。

三  労働時間の起算点に関する東二工場における取扱いの実情

1  原告ら従業員の要する更衣等

いずれも成立に争いのない甲第五五ないし五七号証、証人安藤勝正の証言、取下前の原告鈴木文彦、同斉喜幸及び原告ら各本人の供述及び弁論の全趣旨を総合すると、原告らを含む東二工場従業員の大多数はいずれも危険、汚染作業に従事するため、被告所定ないし作成の造船安全必携、安全ハンドブック、安全靴規程等により、作業に当つて、被告指定貸与の作業衣、安全靴、安全帽を着用すべきものとされ、作業内容によつては命綱、保護眼鏡、保護手袋等の着用が必要であるほか、作業による汚染に備えて作業用の下着に着替える必要があり(以下これら更衣及び安全保護具着用行為を総称して更衣等という。)、それをいつどこで行なうかは被告から特に指定されているわけではないが、事実上それらの行為のほとんどは、出勤入門した後時々の所定の各ロッカー場所において行なつてきたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

2  昭和三六年八月地下ロッカールーム移転以前

当事者間に争いのない事実に、弁論の全趣旨とその形式により昭和三三年九月当時に発行された組合ニュースの写しと認められる乙第一五号証、原告唐沢本人の供述とその形式内容により昭和三六年八月下旬に発行された組合宣伝ビラと認められる甲第六二号証の一、二、証人清水俊郎、同安藤勝正の各証言、原告唐沢本人の供述(ただし以下の認定に反する部分は採用せずこれを除く)及び弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

東二工場では古くから出退勤の管理がタイムカード打刻によりなされていたところ、昭和三六年八月以前は、タイムカード場が通用門脇に、ロッカールームが工場内の各職場に近い位置に分散して設置されていた。従つて従業員は、入門し通用門脇でタイムカードに打刻した後各職場毎のロッカールームまで歩行し、そこで更衣等をしたうえ各職区毎の控所(作業指示を受けあるいは作業開始のために集合すべき場所)に集まることになつていた。タイムカード制施行以来、遅刻による賃金カットは専らタイムカードの刻時により計算され、八時までに打刻していれば賃金カットされない取扱いになつていたが、右当時は、打刻場所と各職場のロッカー場所ないし控所とが離れていることを考慮して、五分前遅刻制といわれる制度が実施されていて、八時五分前より遅れて(即ち七時五五分以後に)打刻した場合は、賃金カットはされないがなお遅刻として記録され、それを定量的に昇給等に影響させる取扱いをしていた。しかしながら、右賃金計算の問題とは別に、従業員として八時にどの場所で何をなすべきかについては労使間に意見の対立があり、昭和三三年九月の団体交渉の中で、会社は、作業上道具器材を要するものは八時にその受渡し場所に行つていること、そうでないものは八時に仕事を始めることを主張し、これに対し組合(当時全日本造船労働組合石川島分会)は、八時に所定の控室、詰所、ロッカールーム等から作業所等へ向つて動作を始めることであると主張したが、結局意見の統一をみないまま推移したいきさつがある。

このように、右当時賃金計算上の問題は右のように明確であつたのにかかわらず、従業員が就業規則上ないし労働契約上なすべき本来の義務が何かについてはこれとは別個のものとして問題視され、組合としても、八時にタイムカードに打刻すればそれで足りると考えていたわけではなく、少くとも八時にロッカールーム等を出ることを要するものと考えていたわけである。

3  昭和三六年八月地下ロッカールームへの移転及びそれ以後

当事者間に争いのない事実に、前出甲第六二号証の一、二、成立に争いのない乙第四号証、弁論の全趣旨とその形式により昭和三六年七月ないし九月当時作成された組合ニュースないしその写しと認められる乙第五、第一六、第一七号証、証人清水俊郎、同市川正吾、同鞠子弘幸、同安藤勝正、取下前の原告鈴木文彦、同斉喜幸及び原告ら各本人の供述(但し右各本人の供述中以下の認定に反する部分は採用せずこれを除く)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

東二工場では、従業員のロッカールームが前記のとおり工場内に分散していたところ、昭和三六年八月から東二工場と公道を隔てた反対側にある被告豊洲総合事務所ビル(江東区豊洲三―二―一六所在)地下にこれを統合することとし、同地下ロッカールームは地下道で東二工場通用門付近に連絡していたが、右移転に先立つて同年七月以降、タイムカード場の設置場所をどこにするかが、右労働時間の起算点の問題との関連で労使交渉の対象となつた。その中で会社は、作業開始の準備やあと仕末は労働時間とみるが、更衣等やロッカールームから作業場までの歩行等は労働時間とはみない、就業時間は八時から仕事を始め、一六時に終了するということで従来から労使で約束してきたことである、この意味の就業時間が守られればカード場はどこでもよいことになるが、現実の可能性の問題からタイムカードにより賃金計算をしている以上、打刻をできるだけ実際の始終業に近づけることが妥当である、前記五分前遅刻制もこのための便法である旨を主張して、まず各職場に近い位置四ケ所に分散してタイムカード場を設置することを提案し、これが当時の全日本造船労働組合石川島分会執行部に拒否されると、次いで右地下ロッカールームと東二工場を結ぶ地下道にカード場を設置することを提案した。これに対し組合執行部は、八時に入場しカードに打刻したからといつて従業員として義務を果したことにはならない、八時から始業できる準備時間をもつて打刻するよう心懸ける義務がある(従つてこれまで七時五五分を入門の最終時間と定め、八時からの始業をできる限り完全なものにするよう努めてきた)ことを認めながらも、このようなことはこれまでほとんどの従業員が遵守してきたことであつて、これからも従業員と管理者の責任において遵守していくべきことがらであり、直ちに従前と全く異つた打刻制度に改める理由にはならないとの立場から、カード場の職場分散には反対したものの、地下道設置案については会社の主張に理論上対抗できないとしてこれに応ずる態度に出た。しかしこの案は組合員一般の了解をえられず、そこで執行部は組合員の意向を受けて再度会社と交渉し、職場の実情(職場感情)を強調して訴えた結果、地下ロッカールーム内入口付近にカード場を設置することに合意をみた。かくて会社としては、更衣等と打刻との先後関係は事実上確認できないこととなるため、これまでの五分前遅刻制度を維持したいとの意向を示したが、組合の反対にあつて結局これも撤回した。右交渉の際作業の掛りについて、組合は、更衣等も作業上不可欠のことだから準備時間として労働時間に含ませるべきだと主張したが、会社は、作業掛りは道具等の受渡し場所の地点から始まり、ロッカールーム移転に伴い打刻場所と作業現場とが遠くなつてもこの原則は変らないことを強調し、意見の一致をみなかつた。

このようにして昭和三六年八月から九月にかけて地下ロッカールームに移転し、作業員は八時までに同ロッカールーム入口でタイムカードに打刻すれば、その後に更衣等のうえ八時に遅れて器材等受渡し場所に到着しても賃金計算上は遅刻扱いされないこととなつたが、会社としては就業規則上従業員のなすべきことはあくまで八時に器材等受渡し場所に到着していることであるとの態度を保持し、一方右分会執行部としても、地下ロッカールーム入居に関し全面的合意に達した同年九月当時、更衣等も労働時間に入れるべしとの右要求が容れられなかつた以上、会社がこれまで管理上行つてきた器材等受渡場所を始点とすることがこれまでの慣行とみなされるをえないとの立場をとり、その旨組合員にも教宣した。即ち組合執行部としては、右のように会社が行なつてきた慣行を、更衣等も就業時間に含めるべきであるとの立場から変更するよう申入れたが、会社に拒否されたため、慣行を変更するに至らなかつた、と考えたわけである。

やがて昭和四二年ころから各職場毎に八時から約三分間始業前の体操が行なわれるようになつて次第に全職場に拡がり、原告唐沢の職場である艤装工作部船装工場課でもそのころから、原告山中(昭和四三年入社)の職場である修理部機関工場課及び原告塩谷(昭和四四年入社)の職場である船殻工作部組立工場課でも同原告ら入社当時から、右体操が行なわれた。体操は更衣等の後に行ない、従来の「器材等受渡場所に到着していること」は事実上この「体操に参加すること」に代置された。そして体操に引続いて各職場毎に器材等受渡場所(原告唐沢の船装工場課の場合は組立定盤(L)の中央付近の控所、同山中の機関工場課の場合は機械工場内、同塩谷の組立工場内の場合は溶接工場(S)内)で作業指示及び器材等の受渡しをした後実作業に移る段取りとなつた。この当時大多数の従業員は、概ね七時五〇分ころまでには入門して更衣等を済ませ、八時からの体操に参加しまたこれに参加するよう努力していた。このことは全従業員に必ずしも励行されたわけではないが、常習的に体操に遅れあるいはその後の作業指示に遅れる者に対しては、職班長等から注意がなされることもあつた。会社は、右のとおり八時までにタイムカード打刻がなされていれば賃金計算上遅刻扱いとしなかつたが、八時に開始される体操に遅れることは就業規則上遅刻であるとの考えの下に、かかる遅刻は勤怠上不定量的にではあるが評価対象になるとの建前をとつた。

なお右の間、タイムカードは更衣等後打刻すべしとの指示が従業員に対し周知されあるいは恒常的になされていたかどうか、及び八時の体操に遅れることが勤怠上評価されるということが従業員に周知されていたかどうかについては、証人安藤、同鞠子、同市川の証言中にこれを積極に述べる部分があるが、前示原告ら及び取下前の原告ら各本人の供述に照らしにわかに採用できず、他にこの点を肯定するに足る証拠はない。

4  組合の分裂と昭和四六年四月の隔週週休二日制実施

当事者間に争いのない事実に、いずれも成立に争いのない甲第一ないし第九号証、第五八号証、乙第六号証の一、二、第八号証、原本の存在及び成立とも争いのない甲第八三号証、証人清水俊郎の証言により成立の認められる乙第九号証、証人清水俊郎、同田中実の各証言、原告唐沢、同山中各六人の供述及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

昭和四五年当初まで被告の東京地区五工場の従業員の大半は全日本造船機械労働組合石川島分会に結集し、同分会は全造船に属しつつ他方石川島播磨重工労働組合連合会(石播労連)にも加盟していたところ、同年一一月同分会は全造船からの脱退を決議し脱退し、名称を石播労連東京労働組合と改めた(その後石播労連は単一化されて石播労組となり、同東京労組は現在の石播労組支部となつた。)が、右脱退に際しこれに反対の立場に立つ原告らを含む少数組合員は全造船傘下の別組合を組織し、これが現在の全造船分会である。かくして被告の東京工場には、従業員の大多数を擁する石播労連東京労組(その後石播労組支部)と少数組合たる全造船分会とが併存するに至つた。

右分裂に先立つ同年八月石播労連は被告に対し隔週週休二日制(時間短縮)導入の要求をしていたところ、その後の協議を経て昭和四六年四月一六日から右制度を採ることとなつた。その骨子は、毎月第一、第三、第五土曜日を休日とし、代りに一日の労働時間を三〇分延長する(これまでの一六時終業を一六時三〇分終業とし、実労働時間を七時間から七時間三〇分に延長する。)(その結果計算上年間で三九時間の時間短縮となる。)というものであるが、実施に至る会社と分裂後の石播労連との協議の中で、会社は右制度に伴いタイムカード場の職場分散、作業の掛り、あがりの規制等を含む就業時間充実対策を提案し、これに対し労連は、就業時間充実はそのような会社側の規制によるのではなく組合員の自覚を促す組合の自主的運動にまかせてもらいたいとの態度をとり、会社は結局この要求を容れた。この協議の中で八時体操をもつて始業とするとの体制を確立することに労使間の合意をみたが、これについても労連の自主的運動を基調とすることとなつた。そこで労連はその機関紙等を通じて組合員に対し、時間短縮を前進させるため組合員の自主的参加を基調として朝の体操の全員参加の呼びかけを含む就業時間充実のキャンペーンを展開した。このような経過をうけて会社は部課長、職班長等の職制に対して文書をもつて、就業時間充実対策として、八時体操実施、あがり掛りの規律の確立、その内容として朝の掛りは八時までに作業衣に着替えて所定場所で体操すること、朝の更衣後打刻、帰りの打刻後更衣を励行すること等を指示し、その趣旨は職班長により従業員に伝達された。

一方、分裂後の全造船分会は、右制度の導入は一日の労働時間延長により残業手当の減収につながること及び就業時間充実を通じてかえつて労働強化となること等を理由としてこれに反対してきたが、結局は、就業時間充実の点についてはあくまで反対の態度を維持しつつ、隔週週休二日制自体には従わざるをえないとの立場をとるに至つた。

このように同制度の実施に伴い、始業の起算点についての取扱いは会社の従業員に対する直接の規制としては変化しなかつたが、会社としては、これまで事実上行なわれていた八時体操が、労使の確認により八時体操をもつて始業の起点とするとの体制として確定されたと認識し、その励行及び朝の更衣後打刻の指導体制を強化し、具体的には始業前の職制によるロッカールームの見廻りや体操に遅れる従業員に対する注意等を厳しくするようになり、これにより、反対の立場をとる全造船分会員を除いて、従前以上に八時体操参加が励行されるようになつた。

5  昭和四七年八月一七日新勤務制度の実施

当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第二三号証、乙第一二、第一四号証、証人田中実の証言と弁論の全趣旨とにより成立を認めるべき甲第一二、第一四、第一六ないし第二二号証、第二四たいし第三〇号証、証人清水俊郎の証言により成立を認めるべき乙第一〇、第一一、第一三号証及び証人清水俊郎、同市川正吉、同田中実の各証言によると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

昭和四七年、各製造部事務部門の集約化とロッカールームの環境改善のため東二工場内に東二総合事務所が新築され、その一、二、三階を東二工場従業員のロッカーハウスとして使用することになり、同年八月一七日から従前の地下ロッカールームから新ロッカーハウスに移転する段取りとなつたが、これに先立ち同年六月ころ石播労組支部より会社に対し、出退勤についてこれまでの機械による管理よりも人間性を重視した管理体制が望ましいとの立場から、右移転を機会にタイムカード制を廃止して自己申告を中心とする出退勤管理制度を採用すべき旨の提案がなされた。これを契機に会社と同支部間の生産協議会で協議がなされ、既にタイムカード制を廃止している同業他社の実情調査等を経て、支部は組合員投票の結果約七五パーセントの賛成を得て同年八月三日正式に会社に対しタイムカード制廃止の申入れをし、会社もこれを積極的に推進する態度に出、かくて自己申告に基づく所属上長の確認による出退勤管理の具体的実施方法の協議に入つた。その中で、八時に所定場所において体操を開始することをもつて始業とし、これに遅れた者は遅刻とするとの基本を前提としながら、(イ)但し当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻扱いとはしない、との但書を入れるかどうか、(ロ)遅刻の単位を三〇分刻みとするか一〇分刻みとするか、(ハ)作業中断時刻を設ける(昼休み及び終業について就業時間いつぱいまで作業をするのでなくて、作業場所からロツカーハウスまでの距離に見合つた作業の中断時刻を設けること)かどうかの三点で対立をみたが、結局いずれについても支部の要求を容れて、同年八月七日タイムカード制を廃止し自己申告に基づく所属上長の確認によることを骨子とする新勤務制度をとることの合意が成立した。右の議論の中で会社は、これまでの取扱いにかかわらず就業規則三二条一項により従業員は就業時間中作業に従事する義務があることを論拠に右(イ)(ハ)についての会社の立場を支えようとしたのであるが、右(イ)については、これまで八時までにタイムカードを打刻すれば賃金計算上遅刻扱いとされなかつた点を考慮して譲歩したものである。右合意した新勤務制度の概要は本件に関係する限度で次のとおりである。

(イ) 出勤管理として従来のタイムカード制を廃止して自己申告に基づく所属上長(班長)の確認による。

(ロ) 八時に所定場所において体操を開始することをもつて始業とし、これ以降を遅刻とする。但し当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻扱いとはしない。

(ハ) 遅刻者は就業可能時刻を一〇分刻みで自己申告し所属上長の確認を得る。

(ニ) 昼のあがり、終業については作業中断時刻を四ブロック程度に分けて設定し、その時刻をもつて作業を中断(終了)しロッカールームへ向う。

分会は、右のような会社と支部との協議経過をみて、タイムカード制廃止は、八時に入門すれば遅刻にならないという既得権を奪い労働時間を実質的に延長するものであるとして反対のキャンペーンを展開していたものであるが、会社は支部との右合意に達した翌日の八月八日初めて分会に対し右新勤務時間について団体交渉を申入れ、同日、同月一〇日、同月一一日の三回にわたり団体交渉が行なわれた。その中で会社は支部との間で合意した内容を示してこれを説明し分会の同意を求めたが、分会は新ロッカーハウスへの移転について異存はなかつたが、タイムカード制廃止については右の考え方から反対の立場を固持し、一方会社も右制度は労働条件の変更には当らないからもし分会が同意しないとしてもこれを実施するとの強硬な態度を取り、団交は平行線のまま決裂した。

かくして会社は右制度を同年八月一七日新ロッカーハウス移転と共に実施することに決定し、同月一二日文書をもつて全従業員に対し新勤務制度の内容とその実施方を通知した。

右の当時東二工場の従業員数は約二四〇〇名で、このうち約二二五〇名が石播労組支部組合員、一〇名が全造船分会組合員、約一四〇名が非組合員であつた。

6  新勤務制度実施(新ロッカーハウス移転)後

当事者間に争いのない事実に、前出乙第四号証、証人市川正吉、同鞠子弘幸、同安藤勝正、取下前の原告鈴木文彦、同斉喜幸及び原告ら各本人の供述(但し各本人の供述中以下の認定に反する部分は採用せずこれを除く)を総合すると、次の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

新勤務制度の下では、八時から三分間各職場毎に定められた体操場所(その位置は乙第四号証人市川の書込みのとおり)で体操が行なわれ、引き続き同じ場所で職班長による作業指示がなされる。前認定のとおりその以前から作業指示は行なわれていたが、右制度実施後はその内容が充実され、その所要時間は少くとも四、五分位、長いときは一〇分位かかる。従つて作業指示の終了時刻は早くて八時七、八分ころであり、八時一〇分位になることも少くない。ところで原告ら従業員は前認定のとおり体操ないし作業指示の前に更衣等をする必要があり、朝出勤すると先ず新ロッカーハウスに入り更衣等をしてから体操場所に赴くことになるのであるが、新ロッカーハウス又は入つてから原告らの各体操場所に到着するまでの所要時間は、原告らいずれの場合も概ね九分前後である(この点については種々の証言、供述があるが、原告らの供述を整理すれば、原告唐沢((ロッカー場所は二階))は更衣等に七、八分ないし一〇分、同山中((ロッカー場所は一階))は東門入門から体操場所まで約一〇分((前掲の他の証拠から東門から新ロッカーハウス到着まで一、二分を要すると認められるから、差引き八、九分ということになる。))、同塩谷((ロッカー場所は三階))は更衣等に六、七分、ハウスから体操場所への歩行に三分、というのであり、乙第四号証人市川の書込みによる、総合事務所と原告らの各体操場所との距離(縮尺一〇〇〇分の一)に照らして考えると、ハウスから体操場所までの所要時間は急げば原告唐沢については二分以内、同塩谷についてもほぼ二分程度と認めるのが相当である。他方更衣等所要時間について証人市川は五分三〇秒ないし六分と、同鞠子は約五分と述べる。従つて九分前後との認定はこれらを総合して認定したものであるが、むしろ原告ら自身の供述を基礎とするものであつて、なお更衣等を急げばもつと短縮される可能性がないとはいえない。)。

新勤務制度における遅刻猶予は「当分の間作業指示に間に合つた場合」とされていて、作業指示の初めに間に合つた場合を意味するのか、その終了までに間に合つた場合を意味するのかは文言上明らかでなく、また会社と石播労組支部との間の合意においてどちらの意味で合意されたのかも本件証拠上明らかでないが、その取扱いについて同制度実施直後において若干の混乱がみられたものの、やがて、作業指示の終了までに間に合えば遅刻扱いしないとする取扱いが定着し、その結果少くとも八時七、八分ころまでに体操場所に到着すれば賃金計算上遅刻扱いされないことになつた。

なお、就業規則上の就業時間は、前示のとおり昭和四六年四月以前は八時から一六時まで実労働七時間であつたところ、同月隔週週休二日制実施に伴い、八時から一六時三〇分まで実労働七時間三〇分となつたのであるが、前出甲第五八号証、成立に争いのない甲第五二号証及び弁論の全趣旨によれば、会社は昭和四八年四月一六日から完全週休二日制を実施し、これに伴い就業時間を八時から一七時まで実労働八時間に改めたことが認められる。

また、当事者間に争いのない事実、成立に争いのない甲第八四号証、第八六号証の一、二、原本の存在、成立とも争いのない甲第八五号証、証人市川正吉の証言と弁論の全趣旨により意見書部分につき成立を認めるべく、その余の部分につき成立に争いのない乙第三号証、証人田中実の証言により成立を認めるべき甲第四一号証、証人市川正吉、同田中実の証言によると、被告は右新勤務制度の実施は従業員の労働条件に変更を生ずるものでもなく、就業規則の解釈運用の問題であるから、就業規則の変更には当らないとの考えで、その変更の手続をとらないでいたところ、昭和四八年一月一〇日付全造船分会からの労働基準法第八九条違反等の申告に基づき、亀戸労働基準監督署長より、就業規則付属の入退場手続の変更に当るから就業規則変更の手続をとるべく勧告を受け、よつて同年一二月一二日、入退場手続の三条但書として「但し、タイムカードを使用しない事業所については適用しない」旨を挿入し、同手続の細部についての定めとして、「東二工場における新勤務制度の取扱要領」と題し前記新勤務制度の内容を記載したもの(この中で始業に関しては、「八時所定の場所で体操を開始することをもつて始業とする。この時点で班長が出勤の確認を行う。これ以降は遅刻とする。ただし当分の間体操後の作業指示までに間に合つた者は遅刻扱いにはしないこととする。」とし、なお備考として「ただし書は、勤怠上遅刻扱いしないということだけであつて遅刻であることには変りはない。」としている。)を付加し、石播労組の異議なき旨の意見書を添えて、就業規則変更の届出手続を了したことが認められる。

四  当裁判所の判断

1  以上みてきたとおり、原告ら東二工場の従業員にとつて、出勤してから所定の実作業に就くまでの間に、入門からロッカー場所までの歩行、更衣等、ロッカー場所から作業ないしその準備のために指定された場所までの歩行、体操ないし作業指示及び器材受渡し等の作業準備行為を要するわけであるが、就業規則上定められた就業時間の起算点をどこに定めるかは原則として法的自由の領域に属し、このことは右更衣等が作業のために欠くべからざる行為であるかどうかにかかわらないことであるところ、被告の就業規則三二条一項には、従業員は「始業時刻と同時に業務を開始」すべき旨の定めがあり、この規定を文字通り解すれば、右更衣等や歩行の所要時間が就業規則上の就業時間に含まれるものとは解しにくいのである。

しかるところ東二工場における取扱いの推移をみても、地下ロッカールーム移転以前古くからタイムカード制が実施され、タイムカードに八時までに打刻すれば賃金計算上遅刻扱いされなかつたのにかかわらず、地下ロッカールーム移転以前及び右移転時における労使交渉において、会社側は従業員は八時に器材等受渡場所に到着していることが就業規則上義務づけられていると主張し、これに対し組合側も、会社側の主張を全面的に肯んじたわけではないが、八時にタイムカードに打刻すれば従業員としての義務を果しているというわけではなく、八時から始業できるように準備時間を置いて打刻すべき義務があることを認めていたのであり、右移転に当り結局タイムカード場を地下ロッカールーム入口付近に置いたのも、右のような従業員の義務はタイムカード場の大幅な移動という方法で規制すべきことではなく、従業員と管理者との責任において遵守すべきもの、との前提でとられた措置である。その後昭和四二年ころから各職場で八時から体操が行なわれるようになつて、会社側の主張する器材等受渡し場所への到着は体操参加に代置されることになつたのであるが、地下ロッカールーム移転から昭和四六年の隔週週休二日制実施までの約一〇年の経過において、八時器材等受渡し場所到着ないし体操参加及び更衣後打刻の指示が会社側によつてどの程度徹底されたかあるいはされなかつたかは明らかでなく、ある程度この点について一部従業員に規範意識の低下がみられたであろうことは肯定しうるにしても、なお大多数の従業員が概ね七時五〇分ころまでには入門して体操に参加してきたのであり、そのような経過を経て、昭和四六年隔週週休二日制実施に当り、従業員の大多数を組合員とする石播労連と会社との事実上の合意に基づいて、労連の自主的運動を基調とするにせよ、朝の掛りは八時までに作業衣に着替えて所定場所で体操をすることとの指導が労連のキャンペーンと職制による現場指導という形で従業員に対してなされ、全造船分会組合員を除き大多数の従業員によつてこれが励行されるようになり、新勤務制度実施の直前の段階に至つたのである。

かかる経過に照らすと、昭和四六年隔週週休二日制実施直前の段階においても、原告らの主張するように、八時に入門することないしタイムカードに打刻することをもつて、就業規則上の就業時間の起算点とし、それ以上の義務はないということが、従業員の規範意識に裏打ちされた慣行として成熟し、よつて労働契約の内容となつていたものと認めることはとうていできないものというべきであり、かえつて、右経過と前記就業規則の文言に照らせば、会社側は八時までに器材受渡し場所に到着しあるいは体操に参加すべきものとするのに対し、従業員の側にはできるだけそのように努めるべきであるという不明確な形での規範意識があつて、これがある程度の低下現象をみながらも存続してきたところ、昭和四六年の隔週週休二日制実施に伴い、八時体操参加をもつて就業時間の起点とするという労使の規範意識が確立され(従業員側についていえば大多数の従業員の規範意識として明確化され)、慣行化したものとみることができる(原告ら全造船分会組合員はこのことに反対の立場を貫き、もとよりかかる規範意識を持たなかつたものであるが、就業時間の起点をどこに置くかというような事項に関する労使慣行はその性質上事業所あるいは職場を単位として総体的に形成されあるいは変転するものとして把握せざるをえない。慣行というものはもともとこういう形で形成され変転するのであろう。)。

八時にタイムカードに打刻すれば賃金計算上遅刻扱いとしないという取扱いは、五分前遅刻制の廃された昭和三六年から数えても一〇年余の長きに亘つて実施されてきたのであるが、従業員が就業規則上定められた始業時刻に遅刻した場合には、もともと遅刻時間に相当する賃金の請求権は発生しない筋合いであるから、使用者がそれをどの程度緩和し、どの限度で賃金カットすることとするかは、従業員の既得の権利を侵害しない限度で自由に定めうるところである。即ち就業規則上の遅刻と賃金計算上取りあげる遅刻とを別個に定めることは使用者の任意であるから、会社が賃金計算上の遅刻認定につき右のような措置をとりそれが慣行化していたからといつて、これにより当然に従業員の労働契約上なすべき義務自体が変容を来たすことにはならないというべきである。

原告らの被告に対する労働契約上の義務として、労働時間の起算点に関し、八時までに所定の門を入門するという義務があるのにすぎず、それ以上の義務は存在しないとする原告らの請求は、以上の理由によりすでに理由がないといわざるをえない。

2  本件において原告らが直接求めている労働契約上の労働時間の起算点に関する判断は以上で足りるのであるが、これとは別に、賃金計算上は従来通用門あるいは地下ロッカールーム入口付近に設置されたタイムカードに八時までに打刻すれば賃金を減額しないという取扱いが長年にわたり定着してきたのであり、この賃金計算上の取扱いが新勤務制度により原告らにとつて不利益に変更されたかどうか、しかりとすればそのような不利益変更が原告らを拘束するかどうかの問題が、本件紛争の実質的争点の一でもあるので、なおこの点に付言する必要があろう。

新勤務制度以前、賃金計算上の遅刻の認定をどの時点、場所においてするかについての就業規則その他付属規程の明文はなく、従つてもともと会社は前認定の就業規則上の始業に遅刻した従業員に対してそれに相応する賃金カットをなしうる筋合いであつたが、タイムカード場設置場所を通用門ないし地下ロッカールーム入口付近に置いたうえ、賃金計算上の遅刻認定を専らタイムカード打刻に依存し、このため就業規則上の始業に遅刻した場合でも八時までにタイムカードに打刻していれば賃金計算上遅刻として取扱わないとの取扱いをし、そして会社はタイムカード打刻を更衣等の後にすべきものと考えていたにせよ、事実上八時までに打刻すればそれが更衣前打刻であつても賃金計算上遅刻扱いされなかつたのであり、また打刻後更衣の指示も少くとも隔週週休二日制実施までは従業員に対し徹底されたと認めえないこと前示のとおりである。してみると、このような会社の賃金計算上の遅刻認定に関する猶予措置は、新勤務制度実施前の段階において労働条件に関する慣行として定着し、これにより従業員は一定の利益を継続的に享受してきたものと認めなければならない。

そこで新勤務制度が、これを従業員にとつて不利益に変更するものであるかどうか、その程度いかんを考えることになるが、まず、従業員の出退勤管理をどのような方法でするかは経営管理権の範囲に属することであり、タイムカード制により出退勤を管理されるということ自体は労働条件の内容になるものではないから、問題は制度変更によつて原告らが賃金計算上受ける猶予時間において実質上いかなる不利益を受けるかである。そして、新勤務制度においても、「体操後の作業指示(の終了)に間に合つた者は遅刻扱いとしない」こととされたのであるから、新勤務制度前の原告らに認められた猶予時間と右新勤務制度下の右猶予措置におけるそれとを比較すべきところ、新勤務制度とともにロッカー場所が新ロッカーハウスに移転し、このこと自体には原告らも異存はなかつたのであるから、従来の「地下ロッカールーム入口での打刻」は「新ロッカーハウスのロッカールームに入ること」に置きかえて比較すればよい。そうすると、既にみたとおり、新ロッカーハウスのロッカー場所に入つてから更衣等及び歩行を経て所定体操場所に至る原告らの所要時間は九分前後であり、タイムカード制の下では体操場所を起点とすると原告らには約九分の猶予時間があつたことになり、これに対し新勤務制度下において許される猶予時間は約七、八分であるから、新勤務制度は、ほぼ二分間の限度で、賃金計算上の遅刻の認定起点を早やめ、これを不利益に変更するものということができる(なお原告らは、タイムカード制当時一分刻みで遅刻認定がなされていたのに、新勤務制度下では一〇分刻みでなされることによる不利益変更をも取上げるが、本件は起算点、即ち八時にどこで何をすればよいかを対象とするものであるから、右の点は本件に直接関連しない。即ち、新勤務制度の右起算点に関する部分を除くその余の部分が原告らを拘束するかどうかはここで論ずる限りではない。)。

しかるところ、会社は石播労組支部の同意をえて、新勤務制度を昭和四七年八月一二日文書をもつて東二工場全従業員に通知し、昭和四八年一二月一二日前記三項6末尾認定のとおり就業規則変更の届出手続をとつた。これによれば、それまで就業規則及びその付属規定上遅刻の認定をどのように行なうかを直接定める規程は存しなかつたところ、就業規則付属規定の変更及び新設によつて新たにこれを定めたものということができる。なおこの点に関し原告らは、「八時所定体操場所で体操を開始することをもつて始業とする。この時点で班長が出勤の確認を行う。これ以降は遅刻とする。ただし当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻扱いにはしないこととする。」なる定めは、就業規則三二条一項一号及び同二七条の変更ないし追加としなければなしえない旨主張するが、前記二項3及び四項1で判断したところによれば、右の定めは就業規則三二条一項一号及び同二七条の内容を変更するものではなく、右三二条一項一号の具体的運用方法及び賃金計算上の遅刻認定方法を定めたものとみるべきところ、これを「入退場手続の細部の定め」として定めた点において規程の体系上いささか不整合とのそしりを免れないにしても、その故に就業規則付属規程としての効力自体を否定すべきものと考える余地はない。

ところで、いわゆる労働慣行の性質、法的根拠、効力については講学上種々議論のあるところであり、右のように使用者の労働条件に関わる猶予的取扱いが慣行化したことによる従業員の利益が、はたして権利とまでいえるものかどうかについては問題のあるところであるが、当裁判所は、このような従業員の利益も使用者が恣にこれを奪うことはできず、就業規則の作成又は変更によつてもこれを変更し、一方的に不利益な労働条件を課することは、原則として許されないが、労働契約関係が継続的な契約関係であること及び労働条件の集合的、画一的処理の要請から、当該変更が合理性(もとよりその合理性は使用者からだけみた合理性をいうのではなく、従業員の立場も考慮したうえでの客観的合理性を厳密に考えなければならないものである。)を有する限り、個々の労働者がこれに同意しないことを理由としてその適用を拒否することはできないものと解するのが相当と考える(最判昭和四三年一二月二五日民集二二巻一三号三四五九頁参照)。

そこで考えてみるのに、原告らにとつて作業上不可欠の更衣等に要する時間を就業時間の中に入れるか否かについては、更衣等は作業のため欠くことのできない行為とはいえ、体操や作業指示と異なりその行為自体は使用者の直接の支配下においてなされるわけではないのであるから、これを就業時間に含ませると否とは、そのいずれが合理的であるとも一概に断じえないところ、就業規則上の始業の意味が既に述べたとおりである以上、再三述べるように、右の慣行は、タイムカード制に由来する賃金計算上の猶予的取扱いが定着したものにすぎないのであるから、それ自体もともと絶対的な意味における合理性を有していたわけではない。しかるところ、この変更は、出勤管理につきタイムカード制を廃止して所属上長の確認による方法(面着性)に改めることに付随してなされたものであるところ、右両制度のいずれが妥当、合理的であるかは当裁判所の判断する限りでないが、右改訂は、当時東二工場従業員の大多数(全従業員二四〇〇名中約二二五〇名)を組合員とする石播労組支部が組合員の約七五パーセントの支持のもとに会社に要請し具体的実施方法についても大筋において支部の要求が容れられた形で合意をみたうえで実施に移され、全造船分会組合員(当時一〇名)を除く他の従業員は異議なくこれに服しているのであるから、支部と意見の対立する全造船分会の右の現象をどうみるにせよ、東二工場の大多数の要請に基づいて実施されたものとみざるをえない。そして会社としてはかかる出勤管理の方法は一事業所(東二工場)全体として集団的、画一的に処理することが必要であり、大多数の従業員に対し面着制をとりつつ原告ら極く一部の者に対してのみ在来のタイムカード制を維持することは事実上不可能であるから、原告ら分会組合員がこれに同意しない限りこれを拘束しえないとするなら、結局大多数従業員の要請に由来する制度の改訂を放擲せざるをえないこととなるのである。これに対し、新勤務制度は右猶予時間を全面的に奪つたものではなく「体操後の作業指示(の終了)の間に合つたものは遅刻扱いとしない」との猶予措置に代置され、この結果原告らが受ける不利益は僅々二分間の程度にすぎないうえ、原告ら各本人の供述によつても原告唐沢(昭和二九年入社、昭和三八年一〇月から昭和四六年三月まで及び昭和四八年三月から現在まで組合専従)は「昭和三八年専従に出るまでは大体七時五〇分ころまでに入門していたのであり八時ぎりぎりに入門することは週に一回か一〇日に一回程度であつた。昭和四六年に現場に戻つてからは八時ぎりぎりが右よりも多くなつた。」と述べ、同山中(昭和四三年入社)は「新入当時は八時に始まる体操に参加していたが入社二年後位から入門時間が遅くなり七時五〇分ころから遅いときは八時ぎりぎりに入ることもあつた」と述べ、同塩谷(昭和四四年入社)は「大体七時四〇分から五〇分の間に入門していた」と述べるのであり、これからみても八時七、八分ころまでに所定体操場所に到着することは原告らにとつて極めて容易であり、そのことによつて受ける実質的不利益はほとんどとるに足らないものといつてよい。さらには、新勤務制度以前においても体操後に作業指示がなされていたところ、作業指示に間に合わないことが会社の作業遂行上実質的に支障を生じさせることは当然の道理であるから、就業規則上の就業時間の起算点を前記のようにみる限り、作業指示の終了までに間に合うことを賃金計算上の遅刻認定の猶予時間の限度とすることは、それ自体合理的な取扱いとみることができる。

このようにみてくると、新勤務制度によつて、賃金計算上の遅刻の認定に関し、八時にタイムカードに打刻することにより認定するとの取扱いを、体操後の作業指示(の終了)に間に合つたかどうかを所属上長が確認するという方法に変更することには、十分な客観的合理性を肯定しうるものというべきであるから、原告らの同意がなくても、原告らはこれに拘束されるものといわなければならない。

原告らは面着制において出勤を確認すべき上長の確認方法に問題があり、これにより原告らが不利益を受けている点をも取り上げるが、そのようなことは制度の運用に関する上長の個々の確認行為の当否の問題であり、面着制そのものの出勤管理方法としての不合理性を理由づけるに足りない(もつとも指摘の点はタイムカードという機械による管理に比較して人間の行う管理のデメリットの一つではあろうが、そのことのみによつて両制度の良否を比較しうるわけではない。)。また原告は、昭和四八年四月一六日完全週休二日制に伴い一日の所定就業時間が八時間に延長されたことによつて、新勤務制度は結局労働基準法三二条一項前段に違反することとなつたとして、これを合理性否定の一事由とするが、本件更衣等及びその後の体操場所までの歩行に要する時間を同法条所定の労働時間に含ませるべきか否かについて既に解釈上争いがあるところであるうえ、仮りにこれを積極に解するにしても、問題は右のように就業規則上の一日の就業時間を八時間に延長したことが、その就業時間全体としてみた場合に、また同条二項との関連において、同条に違反するかどうかであつて、所定就業時間が七時間三〇分であつた時点で新勤務時間制度によつて賃金計算上の遅刻の起点を変更したこと自体は同条に関係しないところであることはもとより、右変更を不合理ならしめる理由ともならないというべきである。

なお以上のように解する以上、新勤務制度における「当分の間体操後の作業指示に間に合つた者は遅刻扱いとしない」との但書は、「作業指示に間に合つた」と「作業指示の終了までに間に合つた」との意味をもつて、タイムカード制下の慣行による従業員の利益を面着制下において代置させたものであり、この但書が存する故に右変更の合理性を肯定しうるのであるから、被告のその制定の意図や解釈にかかわらず、単なる恩恵的猶予措置として被告がいつでも一方的にこの取扱いを改廃することができる性質のものではないといわなければならず、右の判断はこのことを前提とするものである。

五  結論

以上の次第であるから原告らの本訴請求は理由がないものとして棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 浜崎恭生)

(別紙図面省略)

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